ウスボラケ

蛇口の周りには、日の経った枯葉と三つ葉、その他雑草。
普段日のあたらないこんな所でも、
生命が朽ちて、生まれている。
ここで生えた雑草たちには、
この囲いの中が世界の全てであり、
生まれた場所になり、死んでゆく場所になる。
そんな事を考えていると、自分の今いる世界も、
どこか大きな世界の、小さな囲いの中にあるのではないかという気になる。
そして世界をもっと知りたくなる。

僕は猫派です、
犬も好きです、でも、どちらかというと猫派です。
思うに、犬って、愛情を注いでやると、それだけちゃんと返してくれる。
対して猫は、どんなに可愛がっても、全く相手にしてくれません。
でも餌が欲しいときはちゃんとおねだりしてくるみたいな、”ツンデレ”タイプ。
これって異性の好みとリンクする気がするのは僕だけでしょうか?

建物の色使いって、とても気になる要素です。
日本企業の建物だと、この色使いはまず無いでしょう。
でも、補色調和をうまく利用した色使い。
メリハリがあって、力強い、主張があり、好感が持てる。
おそらく郊外店ゆえ成し得たものだろうが、、
都心では排除され易いイメージです、
まるで、学校でちょっと浮いてはじき出されたかのように。
都心だって今更調和も糞も無いのにね。
外資系に負けないでねっ、日本企業。
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もしも周りを、見渡す限り自然に囲まれていたら、
たった1点こんなパラソルがあっただけで、
とても不自然なものに見えるはず。
都会ではその逆だ、
無理に街路樹を植えてみても、
ある所ではコンクリで固められ、
ある所ではネオンで飾られ、
自然らしさを感じる事は難しい、
むしろ不自然と言える。
都会の木々とこのパラソルを置き換えて見てみると、
いくら華やかにしてみても、
なにか物悲しさを感じませんか?
遠く霞む富士。
思えばこのところ、スモッグで霞んだ富士山しか見ていない。
都内にいるとどこから見てもこんな調子だ、
都心からこの富士が、
美しい富士が拝める日が、
生きて再び訪れるだろうか?
凄い事だと思う、ほんの20年で大気はここまで変化した、
変化はする、仕方が無い。
だからこの先は、明るい未来に向かって変化していかなくては。


学生時代、
誰もいない図書室とか、
体育館の裏とか、
夕方の渡り廊下とか、
靴の残っていない上履きだけの下駄箱とか、
非常階段とか、
授業中の保健室とか、
夏休み中の職員室とか、
屋上手前の階段の踊り場とか、
どこか薄暗い、寂しさの漂う所に心を惹かれた。
好きという訳ではなかったのだけど、
そういう場所を無意識に探していたような気がする。
目の裏の記憶。
不可侵の聖域。
どんなに曇った空であっても、
雲を突き抜けた先には、青空が広がっているものだ。
それは人生に置き換えてみると、
安っぽいようだが、希望の言葉に変わる。
それは、
人が創った言語が、自然と一体になった瞬間。
そんな歯の浮くような真っ直ぐな言葉を、
恥じずに表現できる大人でいたい。
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