「また形式か。」
”精神鑑定を行う”
今回の事件(秋葉原無差別殺傷事件)でも当然のようにこのワードが出る事は判っていた、
形式上での事であってしようがない。
判っている。
だけどいつも、いつもこの言葉に憤りを覚えてしかたがない!
精神が何なのか、判る人間がいるのか?
鑑定なんてものは、する人間の知識や主観でいくらでも違ってしまうじゃないか。
どうしたいのか?
鑑定した上でどうしてやりたいのか?
社会復帰できるものならさせてやりたいのか?
ハッキリ言おう、綺麗事だと。
精神に異常をきたしていれば罪が罪で無くなるなら、
人間が犯す過ちは全て罪でないと言えてしまう。
何が正常で何が異常なのか?
それこそ統計学でしかない。
死刑はいけない、僕は死刑は反対派です。
死によって人は全てから解放されてしまうから、
死んでも償いきれない罪さえも消えてしまう。
拷問しろって考え方も違う、
かといって社会復帰は断じて有り得ない。
ここから先の考えは伏せますが、
都合の悪い時だけ人道に反するとかって言葉はうんざりです。
被害者本人や家族や友人がどれほど深い傷を負ったか、
それに比ぶるものなどあるものか、
それが第一なのではないのでしょうか?
精神鑑定の有り方について国全体の考えを知りたいと切に願う。